長寿寺にはたくさんの古文書が伝えられていますが、その一つです。
源頼朝公による長寿寺寺領の安堵状(土地所有権の保障書)です。
寿永二年二月二十四日の日付がありますが、源頼朝が朝廷から
関東地域の支配権を認められたのが同年の十月です。
その時期に関西圏で頼朝公の影響力がどのくらいあったのか私には
分かりませんが、当時の状況を知るうえで重要な意味を持つものではないでしょうか?
ちなみに、初公開の古文書です。