仏師定朝の様式を踏襲した正統的な作。
二重敷茄子の蓮台に坐し、唐草文様を透かした二重円相光を負う。台座と光背は造立当時のもので大変貴重。
仏師定朝の系列に属する者の作とされる。
目を伏せた穏やかな表情の美しい像。地元では聖観音像と言い伝えらえてきた。
木造の大きな地蔵菩薩坐像。破損が激しく修理が急がれる。
四天王のうちの一尊で南方を守護する。
四天王のうちの一尊で北方を守護する。
内陣と外陣を別棟と見立てる双堂形式を残す。外観は一つの建物に見えるが、中に入れば二棟並んだ構造になっている大変珍しい本堂。鎌倉時代初期の建築。
小さいながら本格的な構造を持つ。地中から発見された弁天堂の瓦に「文明六年」という銘があること、「天文十九年三月手間参百人云々」という修理銘がみられることなどから、文明十六年(1484年)の建立とみるべきだというのが建築史家の結論である。
長寿寺の鎮守社として白山神社がいつ建立されたかは不明。文献的には鎌倉時代までさかのぼることができる。ただし現在の白山神社拝殿は建築様式から室町時代のものとされる。四面に格子を備えるのは珍しい。なお祭神は白山比咩大神。
聖武天皇の菩提をとむらうために鎌倉時代に建立された多宝塔。現在は相輪が欠けているが、この種の石造多宝塔の違例は極めて少なく全国に10基程度が残るのみである。
六臂(六本の腕)の地蔵菩薩の周囲に約1万2千体の地蔵菩薩を描いた日本で唯一の曼荼羅。
作者・製作意図など不明。常設の「陶板」地蔵曼荼羅はこの曼荼羅を立体で再現し触れることができるようにしたもの。